レガ爺ちゃんとの別れ

kattobi882007-07-18


  
  とうとう レガ爺ちゃん は旅立った。
 

  妙高高原 まで迎えに行ったのは6年前終わり白樺の木陰 で私たちを待っていた レガシー・ツーリングワゴン・ブライトン

  父の愛車 だった。
 新潟 の家から赴任先の守門村 へ、そして山小屋のある妙高 へと、幾度往復した事だろう。 海へ山へ、食料をいっぱい積み込んで、子・孫、総勢18人 の食欲を満たしてくれたっけ。そのすべてが、父の撮った写真でまとめられ、たくさんのアルバムに収められている。父と母二人だけのドライブや旅のアルバムの方が断トツ多いけど(^_-)-☆   
 今回の地震寸断 されている道路は愛用の道だった。徐々に整備され、「便利になった」と喜んでいたっけな。守門村 も又、前回の地震 で被害を受けた土地である。
 当時父はすでにリタイアし、病に倒れていたが、現役時代だったら、先頭切って、救助活動 していただろう。母もまた、弱者のサポートに奔走していたに違いない。
 
 さてレガシー は母が運転するようになり、父を乗せて通院に、散歩にと愛用された後、免許取りたての甥っ子が使っていた。父が車椅子 の生活になり、車椅子ごと乗せられるライフのバン に乗り換えたためである。その後、妙高の雪の中で冬眠 していたが、雪が解けたら廃車かなあ?^^; と思案した時に、我が家の、骨董品(車)^^; の事を思い出してくれたらしい。母から声がかかり、ありがたく、迎えに行ったというわけである。
 

  我が家 へ来たレガシーは、アチコチ傷つき(つけられ?)、タツながらも、腕の良いドクターにケアされつつ、家族の一員になってみんなに愛されていた。
 子ども達 が巣立つ時は、何回も、夫々の部屋へ道具を運んでくれた。孫たちを可愛がってくれた父が、一緒に手伝ってくれたみたいな気がする。
  私は密かにレガ爺ちゃん と呼び、愛用してきた。乗り心地が良く、長距離だって苦にならない。堂々とした走りで、あおられる事も無かった。母が良く音楽聴きながら眠り込んでいたという、音響の良さ は抜群で、カセットしか使えない不便さにもかかわらず、とても落ち着いた気分 になれるのだった。
 2年前、父が天国 に旅立ってからは、父の形見 ともなり、父と母の愛情 がタップリ詰まったレガ爺ちゃん は、ますます大事な存在になっていった。ところが去年、ある通知 が来た。 一定年数越えたので、税金が上がる <(`^´)> と言うのだ。クーラーガスもフロン なので、公害 を撒き散らしているということになるらしい。
 
 今年2月信州 へ行ったのがレガ爺ちゃん との最後の旅 になってしまったね。もう一度だけ、一緒に思い出の妙高 に行きたかったなあ (^^)/ 

  
  残雪の軽井沢にて
 13万Km  \(◎o◎)/!!
 良く走ったね  (^^)v
 たくさんの思い出をありがとう  (^^)/
 
 天国で待ってる父さんにお返しします。
 あちらでドライブ楽しんでね〜 (^_-)-☆